暦編

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タイトル

暦とは

 暦(こよみ)とは、一年間の月・日・曜日や季節などを、日を追って記したものです。
 現在使われている暦は、明治時代、政府が西洋にならって採用した「太陽暦(たいようれき)」という

太陽の動き(つまり季節の変化)をもとに作られた暦です(※1)。
 
 江戸時代、月の動きをもとに作られた「太陰暦(たいいんれき)」に、閏月(うるうづき)を加えて実際の季節とのずれを補正した「太陰太陽暦(たいいんたいようれき)」を使っていました。   
 このことから、一般に「太陽暦」を「新暦(しんれき)」、江戸時代まで使っていた「太陰太陽暦」のことを「旧暦(きゅうれき)」と呼びます(※2)。

 

※1.明治5年(1872年)11月9日、改暦の布告がされ、明治5年12月3日を明治6年1月1日とし、太陽暦の採用に踏み切りました。この改暦により、実際の季節と暦との間に1か月のずれが生まれました(=12月が1月になったため、旧暦は約1月遅れることになりました)。
※2.「旧暦」と呼ばれるのは厳密には改暦の際に使っていた「天保暦(てんぽうれき)」のみですが、広義にとらえて太陰太陽暦全般を指すこともあります。

 

閏月がある理由

 近代以前に使われていた「太陰暦」は月の満ち欠けに基づく暦です。
 月はひと回りするのに、約29.5日かかることから、1か月29日の「小の月」と1か月30日の「大の月」を組み合わせ1年を表しました。
 太陰暦の1年は354日となり、太陽暦と比べ1年あたり11日の誤差が発生し、その誤差 は3年で1か月ほどになります。そこでその一か月を閏月とし、季節のずれを解消しようとしました。

 

年・月・日を表すことば

 年月日は、十干と十二支の組み合わせで表すことができます。

 

十干と陰陽五行説

 「十干」は、「甲(こう)・乙(おつ)・丙(へい)・丁(てい)・戊(ぼ)・己(き)・庚(こう)・辛(しん)・壬(じん)・癸(き)」の総称です。もともとは日を10日のまとまりで数えるための数詞でした。10日ごとに一旬(いちじゅん)と呼び、3つの旬(上旬(じょうじゅん)・中旬(ちゅうじゅん)・下旬(げじゅん))で1か月になります。
 また、十干それぞれに「陰陽説」と「五行説」を組み合わせた思想の陰陽五行説をあてはめます。
  「陰陽説」は、あらゆるものは「陰(いん)」と「陽(よう)」の2つの要素に分けられるとする思想のことで、十干には「兄(え)〈陽〉」と「弟(と)〈陰〉」があてはめられました。 
  「五行説」とは、すべては「木・火・土・金・水」の5つの要素からなり、この5つの要素が勢いよくなったり衰えたりすることによって宇宙や人におこるあらゆる事象は説明できるとする思想です。
 陰陽五行説を十干にあてはめると、「甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊(つちのえ)・己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずのと)」と呼びます。

         十干

        

十二支

 「十二支(じゅうにし)」は、「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」の12種類の動物からなる記号のことです。現代では年を表すことで用いられることが多いですが、方角や時間を表す際にも用いられていました。

        十二支

干支

  「干支(えと)」は、「十干(じっかん)」と「十二支(じゅうにし)」の組み合わせのことです。「十干十二支(じっかんじゅうにし)」ともいい、60の周期で年月日を数えます。十干十二支が一巡することを「還暦(かんれき)」といいます。
※令和4年1月1日は、 日干支:甲寅 月干支:壬寅 年干支:壬寅 になります。


   干支

 

参考

国立国会図書館 

https://www.ndl.go.jp/koyomi/chapter3/index.html

https://www.ndl.go.jp/koyomi/chapter3/s1.html

国立天文台 

https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/C2C0B1A2CEF1.html