武蔵野線開通と三郷の発展

更新日:2023年06月30日

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武蔵野線の開通と三郷駅

 武蔵野線は、首都圏の輸送力増強と沿線の開発を目的として昭和32年(1957年)建設が決定されました。

 昭和40年(1965年)、南浦和駅西口広場にて武蔵野線の起工式が行われました。市域においては昭和42年(1967年)6月、三郷駅の起工式が行われ、流山鉄橋や駅舎の建設も進められていきました。

 昭和48年(1973年)3月30日、三郷駅が開駅しました。開駅式は、4月1日に開通を控える武蔵野線の開通式と並行して執り行われました。武蔵野線の開通により、かつては三郷から浦和まで行くのに日暮里経由で2時間ほどかかっていましたが、半分の時間に短縮されました。開通当時の1日の平均乗降客数は3,000人ほどでしたが、同年の12月には3倍の8,000人まで増加し、現在の1日の平均乗車人数(降車人員含まず。降車人員含まず。令和3年みさと統計書)は、1万1,493人となっています。

 また、昭和48年(1973年)4月からは、バス路線も三郷駅を中心とした新路線に変更となり、市域の交通が大きく変わり、三郷駅は「三郷の表玄関口」としての位置と役割を担うこととなりました。

奥に川が流れ田畑や民家が立つ中央に、真っ直ぐに伸びた線路が敷かれた開業前の三郷駅を上空から撮影した写真

 開業を待つ三郷駅上空 昭和48年(1973年) 

駅構内の入り口に装飾され「武蔵野線開通 祝 三郷駅開駅」と書かれたお祝いの看板が設置された三郷駅の写真

 開業時の三郷駅 昭和48年(1973年)

駅員が立っている手前のホームにオレンジ色の車体の電車が停車している写真

 三郷駅に停まる武蔵野線 昭和48年(1973年)

駅前の広場のバス停に2台のバスが停車し、バスに乗る為に、乗客が集まっている白黒写真

 開業時の三郷駅前 昭和48年(1973年)

奥に向かって緩やかなカーブになっている線路を挟んで沢山のビルやマンションが建ち並ぶ三郷駅を上空から撮影した写真
右側の広い河川敷を横切り左奥に向かって曲がって線路が続いている三郷駅を上空から撮影した写真

 現在の三郷駅上空 令和3年(2021年)

みさと団地の建設

 昭和45年(1970年)6月、日本住宅公団(現都市再生機構)により、9,465戸(人口:約3万3,000人)、94.5ヘクタールの規模を持つみさと団地の建設計画が決定されました。

 武蔵野線が開通した昭和48年(1973年)4月、第一次入居を開始し、以降昭和50年(1975年)にかけて順次入居が進められ、同年9月、9,409戸のみさと団地が完成しました。

 完成したみさと団地周辺には、4つの保育所や5つの小学校、2つの中学校、市役所・郵便局・警察の各出張所が設置され、商店街、医療機関や道路なども整備されました。都市の機能を備えた住宅団地となったことから「田園のなかに『ひとつの都市』ができた」といわれました。

周囲の地面が整備途中の5階建ての団地を下からアップで撮影した写真

 建設中のみさと団地 昭和47年(1972年)

周囲に空き地や田畑が広がる中央に不規則に建ち並んでいる団地を上空から撮影した写真

 みさと団地上空 昭和60年(1985年)ごろ

周囲を広大な駐車場や学校、ショッピングモールなどに囲まれたマンモス団地を上空から撮影した写真

現在のみさと団地上空 令和3年(2021年)

早稲田土地区画整理事業

 昭和45年(1970年)から「早稲田土地区画整理事業」が開始されました。事業の対象地域は、当時建設が進められていた三郷駅を中心に総面積約193.6ヘクタールに及び、都市計画街路、公共下水道の整備や公園の設置が行われました。

 昭和53年(1978年)には、三郷駅北側に位置する三郷早稲田団地(計画戸数2,400戸、22.2ヘクタール)の建設が着工され、昭和55年(1980年)第一次入居開始を開始しました。

 三郷市文化会館は、「早稲田土地区画整理事業」の竣工記念事業として、市民の文化・芸術活動の要望にこたえていくことを目的に建設が推進され、昭和58年(1983年)2月着工、昭和59年(1984年)7月に開館し、今日まで市民の文化振興に大きく貢献しています。

線路の周りに緑や田畑、民家が点在している三郷駅周辺を上空から撮影した写真

 早稲田土地区画整理事業地上空 昭和48年(1973年)

街路樹が立つ奥まで続く道路に沿って団地が連なって建っている白黒写真

 三郷早稲田団地 平成5年(1993年)

周囲に民家が立ち並んでいる団地を上空から撮影した写真

 三郷早稲田団地上空 令和3年(2021年)

武蔵野操車場(むさしのそうしゃじょう)と新三郷駅

 昭和40年(1965年)、首都圏の貨物輸送の改善のために、三郷町早稲田地区から吉川町三輪野江(みわのえ)地区までの長さ約4.5キロメートル、最大幅約250メートルの操車場の建設が発表されました。

 武蔵野線が開業した翌年の昭和49年(1974年)三郷駅ー吉川駅間に武蔵野操車場が誕生しました。当時の最新式システムによって稼働しており、コンピューター制御による操車場としては、日本一の規模でした。

 しかし、国鉄の経営悪化により、昭和59年(1984年)機能を停止し、昭和61年(1986年)正式に廃止されました。

 市域では、みさと団地の建設が始まった昭和45年(1970年)から、三郷駅ー吉川駅の中間に新駅の設置が求められていました。昭和59年(1984年)新駅の設置が決定され、昭和60年(1985年)、操車場跡地を挟む形で新三郷駅が開駅しました。新三郷駅は、上下線のホームの間隔が世界最長であることから当時のギネスブックにも掲載されました。

 平成11年(1999年)には、離れていた上下線が下りホーム(西船橋方面側)に一本化され、エレベーターやエスカレーター、駐輪場が設置されたことにより、駅の利便性の向上が図られました。

 操車場跡地は、平成19年(2007年)から開発が進められ、平成20年(2008年)「新三郷ららシティ」がまちびらきしました。現在では、約51.1ヘクタールある広大な土地を活かした大型商業施設や大型物流施設、住居ゾーンで構成された新しい街となっています。

2列の線路に貨物列車が停車している武蔵野操車場の白黒写真

 武蔵野操車場 昭和53年(1978年)ごろ

周囲にマンモス団地が点在している中央の取り壊された武蔵野操車場の跡地を上空から撮影した写真

 武蔵野操車場跡地上空 平成3年(1991年)

奥に団地が建ち手前に田畑が広がる新三郷駅の駅舎の写真

 上下線が離れていたころの新三郷駅
 平成4年(1992年)

駅前のバス停にバスが停車し手前に駐車場が整備され改装した新三郷駅の駅舎の写真

 上下線一体化後の新三郷駅 平成11年(1999年)

駅に隣接した大型商業施設の建物の写真

 新三郷ららシティ 平成21年(2009年)

線路沿いに建設された新三郷ららシティを上空から撮影した写真

 新三郷ららシティまちびらき後の上空
 平成21年(2009年)

展示の様子と展示資料

展示の様子

武蔵野線の開通と三郷駅の発展の様子を写真や資料で展示したスペースの写真
早稲田地域の開発とみさと団地の建設の様子を写真や資料で展示したスペースの写真
武蔵野操車場と新三郷駅の発展の様子が写真や資料、電車の模型など展示されたスペースの写真

展示資料

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