三郷の祭礼に見る疫病退散

更新日:2023年06月30日

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 7月は夏に向かって日々暑くなっていく一方、天候が不順で、体調を崩しやすい季節です。
 古来、人々は、疫病(えきびょう)などの原因が分からない病気は目に見えない存在によって起こされるとして、加持祈祷(かじきとう)などをすることで病の原因を追い払うことができると考えていました。

 三郷市を含む埼玉県東南部では、夏の災厄祓除(さいやくばつじょ)・疫病退散(えきびょうたいさん)を目的とした『村廻り(むらまわり)』をする祭礼が多数の地域で行われています。

 三郷市内では中川流域から小合溜井に沿った地域で、神輿(みこし)や百万遍(ひゃくまんべん)の数珠、大般若経(だいはんにゃきょう)を持って各町内を廻る祭礼が行われます。神輿等を持って村内を廻ることで、夏に流行りやすい体を蝕む疫病などを村内から追い払ったことになるということです。

持って廻るものは地域によって変わります。

 村廻りの祭礼のほか、災厄祓除・疫病退散を目的とした特徴的な祭礼として、獅子舞を奉納する祭礼などもあります。

 それぞれの祭礼の目的や起源によって「悪魔祓い」や「疫病除け」、「悪疫退散」など言い方に違いがありますが、ここでは、 「災厄祓除」・「疫病退散」の表記で統一します。

疫病退散の祭礼 位置図

神輿で村を廻る祭礼

花和田香取神社・西善院 厄神祭 (7月15日頃)

 明治期、西善院(さいぜんいん)の住職が不治の病にかかり、秘蔵の大黒天を村人に示して、社殿の建立・祭典の執行を託したことが始まりと伝えられています。

 五穀豊穣、無病息災、1年間の無事を祈って行われる祭礼で、「厄神様(やくじんさま)」と呼ばれる大黒天を祀ります。

 前日は、宵宮式(よいみやしき)を行い、祭礼当日、神輿が町内を廻ります。

宵宮式とは

 祭礼の前夜に行われる前夜祭、準備祭のことです。

 令和2年度の祭礼は中止となりました。

神社から法被を着た男性たちが神輿を担いで出発している様子の写真

 神社を出発する神輿

きれいに剪定された植木の横の道路を、神輿を担いで歩く人たちの写真

 町内を練り歩く神輿

お経とお札

 花和田の祭礼では、祭礼の参加証として、毎年厄除けの働きがある「仏説却温黄神呪経(ぶっせつきゃくおんおうじんじゅきょう)」を頒布しています。このお経は、疫病が蔓延(まんえん)する世の中を憂(うれ)いた釈迦の弟子に、釈迦が教えを説いた物語が元になっています。この物語によれば、疫病の原因をもたらす七鬼神の名前を呼び、立ち去るようお経を唱えれば、病は立ち去り、精進潔斎(しょうじんけっさい)すれば寄せ付けないと説いています。

 今年度、祭礼は中止となりましたが、「仏説却温黄神呪経」を配り、西善院の総本山大和国長谷寺が発行した疫病退散の「除疫札」というお札と、お経の説明を共に檀家(だんか)へ配布しました。

 除疫札上部には種子(梵字 ぼんじ)であらわした曼荼羅(まんだら)があります。この梵字の配置が、西善院と厄神社に祀られる大黒天とその大黒天を納める厨子(ずし)内側に描かれた梵天母・七母女天(ぼんてんぼ・しちぼにょてん)の配置の元となっています。

 除疫札にも「仏説却温神呪経」と同様のお経が書かれています。

配布されたお札と解説付きの袋
中心部分に朱色の印が押されているお札の写真
上部に「除疫札」と書かれ、下部にお札の解説が記載されている写真

参照資料

上口香取神社 祭礼 (7月第二土曜日) 【三郷市指定無形民俗文化財】

 氏子の安全、疫病退散、五穀豊穣を祈願して行われます。

 祭礼当日、朝から神輿・お囃子が神社から出て町内を廻ります。宿(やど)で休憩し、お囃子に乗って神楽を舞います。このように民家(宿)の中で神楽を上演する祭礼は、県内でも珍しいと言われています。

 お囃子と神楽はそれぞれ「二郷半囃子・里神楽」と呼ばれ、江戸時代中ごろから行われていると伝えられています。二郷半囃子と里神楽は、現在、二郷半囃子・里神楽保存会によって様々な機会で演奏・上演されており、広く市民に親しまれています。

宿とは

 祭礼で祝宴をしたり休憩する際に、人々が集まり、もてなしなどをする家のことです。当番制で、一年ごとに町内の家が交代して担当しています。

里神楽とは

 宮中で奉納される御神楽(みかぐら)に対する言い方で、各地の神社や民間で伝承され、行われる神楽の総称です。

令和2年度の祭礼は中止となりました。

里神楽のようす
屋外に設置されたテント内で、和楽器の演奏に合わせてひょっとこのお面と衣装を身に着けた人が踊っている様子の写真
お面と衣装を身に着けて、松の絵が描かれた幕の前で里神楽を披露する2人の写真

彦川戸香取神社 八坂祭り (7月15日頃)

 江戸時代中期ごろより疫病退散のために始まったと伝えられています。

 無病息災、五穀豊穣を祈願して行われ、お囃子とともに大・中・小の3つの神輿が町内を廻ります。

 お囃子は彦川戸囃子保存会が山車に乗って演奏し、祭礼をにぎやかにしています。お囃子は越谷の囃子を習い、代々継承されて現在まで伝わっています。

 昭和12年(1937年)頃~48年(1973年)以前までは、神輿を担いで中川へ入っていました。

 八坂神社は、香取神社境内にある末社(まっしゃ)で、地域の人々には天王様(てんのうさま)と呼ばれ親しまれています。天王様は村の疫病を祓うと言われています。

末社とは

 本社(ここでは香取神社)に付属する小さな神社のことで、神社の境内に一緒に祀られています。

令和2年度の祭礼は中止となりました。

青空のもと神輿を担いだ法被姿の人たちが、神社の鳥居を通り抜けようとしている様子の写真

 神社を出発する神輿

手前では神輿を担いだ法被姿の人たちが道路を練り歩いており、奥には山車が見えている写真

 神輿とお囃子をのせた山車が町内を練り歩く

大般若経で村を廻る祭礼

番匠免神明神社・迎攝院 大般若経祭り(7月8日直近の土日含む3日間) 【埼玉県指定無形民俗文化財、三郷市指定無形民俗文化財】

 中川の氾濫以降に災厄祓除として行われるようになったと伝えられています。

 迎攝院(こうしょういん)の住職が神明神社(しんめいじんじゃ)に入り、600巻ある大般若経を1巻ずつ転読します。その後、お経を100巻ずつ6つの木箱に入れて縄で結び、町内の家を廻って各家の土間で箱を叩きつけて災厄祓除・疫病退散を祈願します。

 町内を廻る途中、5か所の宿で休憩を取り、1つの箱を約20人でもみ合い、箱を結んだ縄が切れるまで地面に叩きつけます。最後に迎攝院の境内で大もみを行い、切れた縄は、災厄祓除のお守りとして各家で軒先や玄関先に取り付けます。

転読とは

 お経の題名と始め・終わりの数行を読み、お経を繰って全体を読んだことにする読み方のことです。

 令和2年度の祭礼は中止となりました。

先頭で緑色の袈裟を着ている住職が座ってお経を読んでおり、後ろでは法被を着た男性陣が座っている写真

 神前で迎攝院の住職が大般若経を転読する

関係者たちが藁が敷かれた木箱の周りに立って作業をしており、一つの木箱には水色のビニールで包まれたお経が置かれている写真

 お経を100巻ずつ箱に納める

2人の男性が、縄で木箱と一緒に縛られている棒を担ぎながら道路を歩いている写真

 縄で箱を結び2人1組で担ぎ町内を廻る

中心にいる法被姿の男性が高い位置で屈んでおり、周りにいる同じく法被姿の男性たちが中心の男性を手で支えている写真

 宿で箱の縄が切れるまでもむ

中心の高い所に立っている一人の男性が、周りに立っている法被姿の男性たちに支えられながら足元を見ている写真
法被姿の男性たちが、木箱を縛っている縄を四方から力いっぱいもんで木箱が傾いている様子の写真

 迎攝院境内で行われる大もみ。切れた縄は災厄祓除のお守りになる。

獅子舞を奉納する祭礼

戸ヶ崎香取神社 三匹の獅子舞(7月第一日曜日を最終日とした3日間) 【三郷市指定無形民俗文化財】

 天正10年(1582年)に当時の領主が村人に凶事が続いたことを憂い、鰐口(わにぐち)を寄進、獅子舞を奉納し、村人の長寿、疫病退散、五穀豊穣を祈願したことが始まりと伝えられています。

 神前に舞庭(まいにわ)を作り、大・中・女獅子の頭をつけ、腰につけた太鼓を打ちながら笛の音に乗って演舞します。舞を行っている間、オヒネリを親類縁者・見物人が獅子舞に向かって投げます。

 舞は九種類あり、戸ヶ崎獅子舞保存会によって受け継がれています。

九種類の舞の順

 女獅子隠し ⇒ 笹廻り ⇒ 飛び恰好 ⇒ 弓懸かり ⇒ 橋渡り ⇒ 帰り恰好 ⇒ 綱渡り ⇒ 烏覗き ⇒ 太刀懸かり

令和2年度の祭礼は中止となりました。

周りに座っている関係者たちに見守られながら、獅子舞の頭を被った人が土俵の中心で太鼓を持って立っている写真

 神前に土俵を作る(奥に拝殿がある)

黒い頭に白のひげが特徴の獅子舞を被った3人の人が、腰に太鼓をつけて演舞している写真

 大・中・女獅子の3匹が舞う

見守る観客を背景に、獅子舞の頭を被った人が宝刀を目の前に掲げている写真
見守る観客を背景に、獅子舞の頭を被った人が宝刀で疫病に斬りかかっている場面写真

 舞のクライマックス、太刀懸かりの一場面。大獅子が神社の宝刀により四方の疫病退散をする

岩野木富足神社 幸房・岩野木の獅子舞(10月15日前後の日曜日) 【三郷市指定無形民俗文化財】

 社伝によれば、大水害の見舞われた際に、3つの獅子頭が江戸川に漂着し、疫病が流行り、これを鎮めるために獅子舞が奉納されたのが祭礼の始まりと伝えられています。

 祭礼は、神輿と獅子舞が出て、興禅寺と富足神社(とみたるじんじゃ)の2か所で行われます。

 先導役として猿が獅子たちの先頭に立ち、舞う場所に入場し、女獅子・中獅子・大獅子の三獅子が順に舞います。最後に三頭が神前に跪(ひざまず)いて終わります。

 獅子舞で舞う演目のことを一庭(いちにわ)といい、全部で七庭あります。現在は、一庭のみ奉納しています。

七庭の舞の順

 花がかり ⇒ 御幣がかり ⇒ かんぬきがかり ⇒ 弓がかり ⇒ 綱がかり ⇒ 橋がかり ⇒ 女獅子がかり

多くの観客が見守る中、法被姿の人を先頭に赤い衣装を身に着けた人や獅子舞の頭を被った3人の人が続いて歩いている様子の写真

御幣をつけた竹を持った猿に先導されて女獅子、中獅子、大獅子が続く

周りで多くの観客が見ている中、踊りを披露する一匹の獅子舞と、少し距離をとった所で腰につけた太鼓を叩いている2匹の獅子舞たちの写真

全部で七庭ある演目は、現在、一庭(橋がかり)のみ奉納

令和2年度の祭礼は中止となりました。

コラム 祭礼だけじゃない災厄祓除・疫病退散

境などに立てられる「辻切り」

 身近に見られる災厄祓除・疫病退散のひとつに「辻切り」があります。

 「辻切り」は地域によって様々な形がありますが、一例として、災厄祓除・疫病退散の札や注連縄(しめなわ)をつけた竹笹が立てられます。

 「辻切り」には結界のような役割があるとされ、地域に災厄・疫病が入ってこないようにすると言われています。

 以前は、高州、上口、長戸呂など市内の各地区で行われていました。

 現在、彦糸では、7月10日頃に吉川市との境や地区境で杉の葉などで使った辻飾りを見ることができます。

安養院、彦糸女体神社、彦糸公民館の3箇所が丸印で示されている地図

 見つけに行ってみてください

様々な種類の葉っぱで作られた辻飾りの写真

 辻飾り

参考文献

  • 三郷市史編さん委員会 編「三郷市史 第9巻 別編 民俗編」(三郷市 1991)
  • 埼玉県神社庁神社調査団 編「埼玉の神社 大里・北葛飾・比企」(埼玉県神社庁 1992)
  • 武蔵大学人文学部日本民俗史演習 編「武蔵大学日本民俗史演習調査報告書14 三郷市花和田の生活と伝承」(武蔵大学人文学部日本民俗史演習 1992)
  • 埼玉県立歴史と民俗の博物館 編「無形民俗文化財調査事業 「巡り・廻りの民俗行事」総括報告書1.」(埼玉県立歴史と民俗の博物館 2020)
  • 三郷市生涯学習課発行 文化財マップ
  • 市内祭礼調査カード及び祭礼調査票

協力・資料提供

安養院、西善院、戸ヶ崎香取神社

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参考文献にある「三郷市史」は全10巻あり、図書館での閲覧、電子図書館での閲覧が可能です。

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